CALAKMUL
カラクムル

カラクムルは古典期の低地マヤを代表する強大な都市国家のひとつだ。かつて30平方キロにおよぶ規模を有した。現在はカンペチエ州の最南部、自然保護区の奥深くに位置する。グァテマラ国境まで約35キロと近い。幹線道から自然保護区のゲートを通り、さらに色とりどりの蝶が舞う道を延々と走ってたどり着く、最もアクセスの遠い遺跡のひとつだ。2007年に訪れた際、前方の道をジャガーが横切った。カラクムルは現在確認されている限り、最も多くの石碑がつくられた都市であり、総数117を数えているが、石灰岩の脆い材質故、細かな歴史はまだわかっていない。その歴史は先古典期である紀元前3世紀ほどまで遡る。ティカルと同時期に栄え、パレンケなどと抗争を繰り返したカーン(蛇)という名の都市国家がこのカラクムルだとみられている。562年、カラクムルはティカルを攻め、王ワク・チャン・カウィールを処刑したとみられている。カラクムルはティカルの覇権を排した後、6世紀末から7世初頭に在位した、「渦巻きヘビ」の名をもつ王のもとで繁栄の黄金期に入り、パレンケをも攻め、大きな勝利を得ている。さらに636年に即位した「大ユクノーム」王の時代には巨大建造物が数多くつくられた。黄金期は695年にイチャーク・カック王がティカルに進軍し敗北するまで続き、以後徐々に衰退の道を辿る。
都市の歴史で、現在石碑で確認できるのは、5世紀から10世紀までとなっている。建造物に、ティカルのような高さを誇る塔を持つ神殿はないが、底面積が非常に大きい、巨大な神殿「建造物2」を遺しており、これよりも底面積が大きい神殿は先古典期に栄えたマヤ文明史上最も古く最も巨大な神殿を遺したエル・ミラドールの大神殿だけだ。

Inside the Grand Acropolis
「大アクロポリス」内部

 

Inside the Grand Acropolis
「大アクロポリス」内部


Inside the Grand Acropolis
「大アクロポリス」内部

 

The Ball Court
球技場

 

Structure XIII
建造物XIII

 

Stella
石碑

 

Structure XV
建造物15

 

Inside the Grand Acropolis
「大アクロポリス」内部

 

Structure II
建造物2

 

Structure VII
建造物7

 

Structure IV-B
建造物4-B

 

Structure V and a Stella
建造物5と石碑

 


Structure II
建造物2

 

 

Structure III
建造物3

 

 

View from Structure II
建造物2の上からの眺め

 

 

Structure I
建造物1