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Druid's Circle
Stone Circle
Gwynedd
SH723746

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サークルの入り口とされる部分。サークル内には遠い産地から運ばれたとみられる石英のかけらが敷き詰められていた形跡がある。サークルの名、「ドゥルイドの環」は、近代になって付けられたものだ。溝のある岩が「生贄の岩」と呼ばれている。嵐の夜には岩から子どものすすり泣きや悲鳴が聞こえるのだそうだ。だが、これは18世紀以降にできた「新しい伝説」だ。ギリシアの歴史家タキトゥスの『年代記』に「生贄の血で祭壇を塗りたくる」と書いてあるように、当時ドゥルイドと生贄のイメージは分かちがたいものとなっていた。だが奇しくも1958年の発掘で、サークルの中から生贄と見られる一一歳くらいの子どもの遺骨が二体発掘された。一体は土器の下に、もう一体は青銅のナイフと一緒に埋められていたという。